2002-06(ローラ)
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「ダイソン・レーシング」の記事における「2002-06(ローラ)」の解説
2002年シーズン半ば、チームはMG-ローラ・EX257(英語版)で、LMP675クラスへの参戦を発表した。これはローラとエンジンビルダーのアドヴァンスド・エンジン・リサーチ(AER)との長期にわたるパートナーシップの始まりだった。AERは2002年のLMP675エンジンメーカー選手権で1位だった。 2003年シーズン、ウィーバーとライツィンガーがソノマでLMP900クラスのアウディ・R8を下して総合優勝を上げた。LMP675クラスの車がALMSで総合優勝したのはこれが初めてであり、チームはクラスでも1-2位だった。クリス・ダイソン、チャド・ブロック、ディディエ・デ・ラディゲスがセブリング12時間レースでチーム初のクラス優勝を含め、計6回のクラス優勝を上げた。チームはLMP675クラス、チームタイトルを獲得し、クリス・ダイソンはドライバーズタイトルを獲得した。 2004年シーズン、ALMSの規制の再調整に伴い、チームはほとんど変更されていない、MGローラ-AERでLMP1クラスに移動した。ウィーバーとライツィンガーはモスポートで勝利を収め、#16と#20号車は計11回の表彰台を獲得した。チームはクラス2位で、ドライバーのジェームス・ウィーバーとブッチ・ライツィンガーが2位、アンディ・ウォレスが3位だった。 2005年シーズン、チームはオフシーズンにタイヤをミシュランに切り替えた。ミッドオハイオでチーム初のLMP1クラス、ワンツーフィニッシュを達成した。ウィーバーとライツィンガーはモスポートでも優勝した。チームはチャンピオン・レーシングに次ぐランキング2位で、クリス・ダイソンはドライバーズランキングで2位になった。 2006年シーズン、セブリング12時間レースでデビューしたディーゼルエンジンのアウディ・R10に対して、ダイソン・レーシングは2台の新型ローラ・B06/10(英語版)-AERをLMP1クラスで走らせた。チームはLMP1でアウディに次ぐ2位でフィニッシュした。ジェームス・ウィーバーはチャンピオンシップ2位で、マツダ・レースウェイ・ラグナセカでの最終戦の後、現役を引退した。ALMSメディアガイドは彼を「どの分野関係なく、世界で最も優れたレーシングドライバーの一人」と呼んだ。彼は30年間のキャリアの内20年をダイソン・レーシングでドライブし、引退後もコンサルタントとしてチームに協力している。
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