20世紀: 視覚言語の誕生
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「インフォグラフィック」の記事における「20世紀: 視覚言語の誕生」の解説
1936年、哲学者オットー・ノイラートはいわゆる言語に寄らない国際的な視覚言語として機能するピクトグラムの体系を提唱した。アイソタイプには様式化された人間の形が使われており、最近ではどこでも目にする棒線画の元となった。 1942年、ルーマニアの詩人イシドール・イズーは文字主義宣言を発表した。 1972年、ミュンヘンオリンピックでオトル・アイヒャーが新たな一連のピクトグラムを使った。これが一般に広まり、公共の標識などでの棒線画の利用に影響を与えた。 同じ1972年、パイオニア探査機の金属板を搭載したパイオニア10号が打ち上げられた。その金属板のインフォグラフィックは、カール・セーガンとフランク・ドレイクが星間ボトルメールのようなものとして設計し、描かせたものである。このメッセージは、人類と言語的共通性を全く持たない地球外生命に理解してもらうことを意図している点で独創的である。探査機のシルエットの前に人間の男性と女性が描かれているのは、人間の身長を大まかに示すためである。また、いくつかのパルサーとの距離から太陽の相対的な位置がわかるような地図が描かれていて、単純化した太陽系の図と探査機の太陽系における経路を矢印で記している。
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