2度の選挙出馬・初タイトル・3年連続GP出場
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「長塚智広」の記事における「2度の選挙出馬・初タイトル・3年連続GP出場」の解説
2009年7月に開催された寛仁親王牌(青森競輪場)最終日終了後、茨城県知事選挙の準備のため、競輪選手活動を休止。9月のオールスター競輪(松山競輪場)から復帰した。 2010年4月に行われた共同通信社杯春一番(小松島競輪場)最終日で1着となった後、参議院議員選挙に備えるため、競輪選手活動を休止。7月17日開幕のサマーナイトフェスティバル(函館競輪場)で復帰した。復帰後、11月から12月にかけて、川崎競輪場で行われた記念開催を含めて4連続優勝を果たした。 「#政界挑戦」も参照 2011年には第64回日本選手権競輪 (GI) と第54回オールスター競輪 (GI) で決勝進出を果たしたものの、いずれのレースも失格に終わったが、12月に開催された第53回朝日新聞社杯競輪祭 (GI) でも決勝に進出し、追走していた武田豊樹の捲りを後位からゴール寸前でとらえ、遂にGI(特別競輪)で初優勝を果たした(81期では加藤慎平と合志正臣に次ぐGI制覇)。しかし、その後のKEIRINグランプリ2011 (GP) でまたもや失格。4回出場機会を得たGPおよび4日間以上開催GI決勝戦のうち3回失格という、過去に前例がない不名誉な記録を作ってしまった。 2012年も東王座戦と日本選手権競輪の決勝に進出するなど好調を持続しており、寬仁親王牌と競輪祭の決勝で共に2着となり、年間獲得賞金4位でKEIRINグランプリ2012に出場し5着となる。 2013年は4月に福井競輪場で行われた共同通信社杯競輪の決勝において、打鐘先行を図った村上義弘の番手を奪い、そのまま後方選手の位置を確認しつつ最後の直線で追い込む走りを見せGIIを初優勝。これを含む年間獲得賞金6位によりKEIRINグランプリ2013への出場を決定させた。関東ラインで後輩・平原と先輩・後閑の先頭を務めた(結果は3着)。
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