2度の配流と王宮への帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:05 UTC 版)
「テオファノ」の記事における「2度の配流と王宮への帰還」の解説
テオファノは、コンスタンティノープル沖に浮かぶプリンキポス諸島へ流された。ところがしばらくして脱出して首都へ舞い戻り、ハギア・ソフィアに庇護を求めて駆け込んだ。総主教ポリュエウクトスはテオファノの身柄をヨハネスに引き渡した。会えば以前の関係に戻るという期待があったのかもしれないが、ヨハネスは彼女に冷たく再度の流刑を言い渡した。親衛隊に捕まったテオファノは、ヨハネスを罵り、自分を拘束している侍従らに体当たりしたという。 テオファノはアルメニアへ流された。ヨハネス1世が976年に急死した原因はテオファノが自らを裏切ったヨハネスに復讐したという説もあるが、当時彼女は流刑先の修道院に監禁されていたので事実ではなく、「悪女テオファノ」というイメージによる想像に過ぎない。成人したバシレイオスとコンスタンティノスの本格的な治世が始まると、テオファノは息子バシレイオス2世によってコンスタンティノープルへ呼び戻されたが、その後の動向は一切知られていない。
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