1993年4月: 安保理がスレブレニツァを「安全地帯」に指定とは? わかりやすく解説

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1993年4月: 安保理がスレブレニツァを「安全地帯」に指定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:07 UTC 版)

スレブレニツァの虐殺」の記事における「1993年4月: 安保理がスレブレニツァを「安全地帯」に指定」の解説

1993年4月16日国際連合安全保障理事会国連安保理)は決議819号を可決し、「全ての部隊とその他当局者は、スレブレニツァその周辺地域安全地帯として扱いいかなる武力攻撃その他の敵行動をとってはならない」とした。1993年4月18日UNPROFOR最初部隊スレブレニツァ到着したスレブレニツァ飛び地周辺へは、スルプスカ共和国軍ドリナ軍団3団からの千人ないし2千人兵士が、戦車装甲戦闘車両大砲迫撃砲装備して展開していた。飛び地に留まっていボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍の第28山岳師団は、うまく組織されておらず装備貧弱であった確固たる指揮系統伝達システム無く兵士一部は古い狩猟用ライフルのみか全く武器持っていない状態であったきちんとした制服持っていたのはごく僅かであった。 「安全地帯」の合意は、当初より双方勢力によって侵された。国連保護軍オランダ軍部隊指揮官であったトマス・カレマンス(Thomas Karremans)中佐ICTY証言し彼の部隊スレブレニツァに戻ることや装備弾薬搬入を、スルプスカ共和国軍によって妨害されたとした。スレブレニツァにいたボシュニャク人は、セルビア人兵士による攻撃があることを訴えた他方セルビア人は、スレブレニツァボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍は「安全地帯」をスルプスカ共和国軍対す反撃のための「便利な基地」として利用しており、国連保護軍はそれを阻止するいかなる手段もとっていないとした。セフェル・ハリロヴィッチ(Sefer Halilović)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦軍ヘリコプター飛行禁止区域侵害して飛行し、彼自身命令弾薬積んだ8機のヘリコプター第28師団送ったことを認めた

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