1990年代・最晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:30 UTC 版)
1991年 (平成3年)、奇病にかかった患者を主人公とした小説『カンガルー・ノート』を発表。結果としてこれが安部公房が擱筆した最後の小説となった。この頃、安部はクレオールに強い関心を寄せ、それをテーマとした長篇『飛ぶ男』の執筆に取り組んでいたが、同年12月1日に行なわれた談話ではそれに続く新しい構想として「アメリカ論」を挙げ、「チョムスキー風に言えば、学習無用の普遍文化。コカ・コーラやジーンズなどに代表される、反伝統の生命力と魅力をもう一度見直してみたい。」と語っている。 1992年 (平成4年) 12月25日深夜、執筆中に脳内出血による意識障害を起こし、東海大学病院に入院。1993年 (平成5年) 1月16日には経過良好で退院したが、自宅療養中にインフルエンザを発症し、1月20日に多摩市の日本医科大学多摩永山病院に入院。1月22日には解熱し一時的に恢復したものの、就寝中の同日7時1分、急性心不全により死去。68歳没。1992年12月に執筆していた小説『さまざまな父』が未完のまま絶筆となった。なお、入院時に愛人・山口果林宅より搬出されたためスキャンダル扱いとされたが、最期は家族に看取られた。
※この「1990年代・最晩年」の解説は、「安部公房」の解説の一部です。
「1990年代・最晩年」を含む「安部公房」の記事については、「安部公房」の概要を参照ください。
- 1990年代・最晩年のページへのリンク