1988年:先例なき年間ゴールデンスラム
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1988年は全豪オープンの優勝で始まった。全豪の決勝ではエバートを6–1, 7–6で破って優勝した。一つのセットも落とさず、29ゲーム落としただけの勝利だった。春、ライバルのサバティーニに2回敗れた(ボッカ・レイトン/フロリダのハードコート、アメリア島/フロリダのクレーコート)が、サンアントニオ/テキサスで勝ち、マイアミでは再び決勝でエバートを下してタイトルを防衛した。そのあとはベルリンでのドイツ・オープンで、優勝。同トーナメントでは、5試合中たった12ゲームしか落とさなかった。全仏オープンでは決勝でナターシャ・ズベレワ(Natasha Zvereva) を6–0, 6–0、32分で退け、タイトルを防衛した。これは 1911以来、大きなトーナメントの決勝では初めてのダブル・ベーグル(欧米ではゼロを丸いベーグルパンにたとえ、片方が1ゲームも取れない試合のことを「ダブル・ベーグル」と言っている)であった。4回戦でナブラチロワを破ったナターシャは、決勝ではわずか13ポイントしかとれることができなかった。 次のウインブルドンはナブラチロワが6回連続で優勝していた。決勝でシュテフィは初め7–5, 2–0でナブラチロワに押されていたが、そこから盛り返し、13ゲーム中12ゲームを奪い、結果、5–7, 6–2, 6–1で初優勝した。ゲームの後半ではシュテフィが低めにコントロールしたパッシングショットがよく決まり、ナブラチロワは得意のネットに出ることすらできなくなっていた。この試合の後、ハンブルク・マスターとモーワーで勝ったが、モーワーではたった8ゲームしか落とさなかった。 全米オープンでは決勝でサバティーニをフルセットで破り、女子ではモーリン・コノリー(Maureen Connolly Brinker)とマーガレット・コート(Margaret Court)だけが達成していた、年間グランドスラム(Calendar Year Grand Slam)を達成した。グラフはさらにソウル・オリンピックでサバティーニを6–3, 6–3 で破り、金メダルを獲得したため、メディアはその偉業を「ゴールデン・スラム」と讃えた。 この年にはまた、ウインブルドンでサバティーニと組み、唯一のダブルスタイトルを獲得している。また、同じペアでオリンピックダブルスの銅メダルを獲得している。 このように輝かしい偉業を達成した1988年だったが、年末のバージニアスリムスWTAチャンピオンシップ(Virginia Slims Championships)では病気の影響で、パム・シュライバー (Pam Shriver)に敗退した。これがこの年の3敗目であった。この年グラフは「1988年BBC海外スポーツ選手賞(BBC Overseas Sports Personality of the Year)」に輝いた。また、生地ブリュールの名誉市民にも任命されている。
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