1985年・夏の甲子園
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1985年の夏の甲子園で、高知商業高校は快進撃を続けたが、中山は「攻守ともに高知商史上最強レベル」とうたわれた当時のチームの原動力となった。また、当時の大会を取材していた高野想(スポーツ新聞記者)は「春夏の甲子園大会で初めて150 km/hの球を投げた投手は中山と言われている。のちに清原が中山からあれだけ長距離の本塁打(後述)を放てた理由は、中山の速球が強い反発力を生んだからだろう」と述べている。 甲子園では初戦の藤嶺藤沢(神奈川代表)戦で最速150 km/hの速球を投げるなどして9対2で勝利した。続く第2回戦では同じく四国勢の志度商業(香川県代表)戦で最速145 km/hを記録し、初回先頭打者から6連続奪三振を記録するなど、2被安打12奪三振の好投で4対0の完封勝利を記録。3回戦でも同じく四国勢の川之江(愛媛県代表)と対戦し、立ち上がりの不調を突かれて2点を先制されたが、8回には同点に追いつき、延長11回裏にサヨナラ勝ちを決めた。 PL学園との準々決勝では再び桑田と投げ合い、5回裏の最初の打順で「この試合の目玉」と注目された4番・清原と対戦。しかし、真ん中高めに投げた渾身の速球をバットの真芯で捉えられ、左翼席上段に達する特大ホームラン(推定飛距離:140 m)を被弾した。さらに6番・桑田にも右翼ラッキーゾーンへのホームランを被弾し、試合は3対6で敗退した。 同年秋の第40回国民体育大会高等学校野球競技では桑田に投げ勝って甲子園の雪辱を果たし、優勝の原動力となった。この時の控え投手に1年下の岡林洋一がいる。
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