1985年ツール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 10:05 UTC 版)
「グレッグ・レモン」の記事における「1985年ツール」の解説
2度目の参戦となった1985年のツール・ド・フランスでは、ラ・ヴィ・クレール(英語版)のチームで、それまでツール4勝を挙げていたエース、ベルナール・イノーのアシストを務めることになった。その後イノーはレースをリードしていたが、ステージ途中の転倒事故で負傷していた。第17ステージでレモンは、イノーを置き去りにして先頭集団についていった。このため監督であったパウル・ケヒリは、レモンに対し後方に下がるよう指示を出した。しかしステージ終了後、レモンはイノーに2分25秒の差をつけてリードしていた。このため当日の夜、緊急のチームミーティングが開かれた。そこで、オーナーにより「イノーに総合優勝させる」、「レモンにはボーナス(日本円にして約3,000万円)を支給する」というチームオーダーが決定された。このツールでレモンはイノーに次ぐ2位(1分42秒差)でレースを終えたが、イノーのツール・ド・フランス5勝のために、自らの勝利はあきらめざるを得なかった。 その後レモンはインタビューで、チームマネジャーとコーチのポール・コークリが、レモンにうそを伝えていたと暴露した(大切なステージ中、イノーとのレモンの差は+3分以上あると伝えていた)。これに対しイノーは、来年は自分がアシストに回ることを約束した。
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