1980年代:ヒップホップの導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 08:07 UTC 版)
「ハービー・ハンコック」の記事における「1980年代:ヒップホップの導入」の解説
1983年のアルバム『フューチャー・ショック』では、ヒップ・ホップを大胆に導入。DJスクラッチ(英語版)を取り入れたスタイルはクラブ・ミュージックの方向性を決定付けた。このアルバムはベーシスト兼プロデューサーであったビル・ラズウェルの実験的な音楽アイデアを元に製作された。またシングル・カットされたGrand Mixer D.ST(英語版)のスクラッチを取り入れた「ロックイット(英語版)」が世界中で大ブレイク。翌年の『サウンド・システム(英語版)』、1988年の『パーフェクト・マシーン』といったアルバムにもラズウェルが関わり、同じ作風の作品を発表している。これ以降の電気サウンド作品についても例に漏れず、不定期ではあるが作品を発表している(1994年の『ディス・イズ・ダ・ドラム』2001年の『FUTURE 2 FUTURE(英語版)』など)。 1983年に初のグラミー賞となる「ベストR&Bインストゥルメンタルパフォーマンス」賞を受賞するなど、1980年代には3度グラミー賞を受賞(#グラミー受賞歴の節も参照)。1985年にはベーシストのロン・カーターと共演したサントリー・ホワイトのCMがテレビ放映され、話題となった。音楽監督を担当し自らも出演した映画『ラウンド・ミッドナイト』(1986年)では、アカデミー作曲賞を獲得している。
※この「1980年代:ヒップホップの導入」の解説は、「ハービー・ハンコック」の解説の一部です。
「1980年代:ヒップホップの導入」を含む「ハービー・ハンコック」の記事については、「ハービー・ハンコック」の概要を参照ください。
- 1980年代:ヒップホップの導入のページへのリンク