1980年–2005年:生い立ちと iiO
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 15:28 UTC 版)
「ナディア・アリ」の記事における「1980年–2005年:生い立ちと iiO」の解説
ナディア・アリは1980年にリビアのトリポリで、パキスタン人の両親の元に生まれた。一家は彼女が5歳の時にそこを離れ、ニューヨークのクイーンズ地区で育った。 アリは17歳の時に、ニューヨークのヴェルサーチで働き始めた。そして店の同僚が彼女を音楽プロデューサーのマークース・モウゼに紹介した。モウゼは、ドイツのとあるガール・グループの楽曲でコラボレーションできる女性歌手(シャンテューズ)を探しているところだった。結局二人は、モウゼがプロデューサー、アリが作詞とボーカルを担当するという形で共同制作した。アリの最初の作品はシングル「Rapture」で、オーストラリア人のナイトクラブ後援者との出会いに基づいて30分で書き上げた曲だった。この曲のデモは2001年にニューヨークのクラブ Twilo で流され、BBC Radio 1 の番組でデモを流した DJ の Pete Tong に早くから気に入られた。この曲はその後、Sasha、Danny Tenaglia、Sander Kleinenberg といった有名 DJ らに気に入られ、夏の間にイビサで頻繁に流されるようになった。この曲は2001年後半にミニストリー・オブ・サウンドからシングルとしてリリースされて商業的にも成功し、全英シングルチャートとビルボードの Hot Dance Club Play チャートで2位に入り、欧州のいくつかの国でもチャートインした。アリが言うところでは、「Rapture」のヒットが iiO の結成につながった。というのも、2人が当初取り組んでいたのはダンス・ミュージックとはおよそ異なるもので、「Rapture」のシングルを売り込むにあたり何かユニット名を考えるように言われたからだ。当初はアリが作詞に使っていたソニー製ノートパソコン VAIO にちなんで Vaiio という名をつけていた。二人は海外ツアーを回り、「At the End」、「Runaway」、「Smooth」、「Kiss You」といった何枚かのシングルを出した。2005年には iiO として最初のスタジオ・アルバム『Poetica』をリリースした。 アリはソロ活動に専念するため2005年に iiO を脱退したが、モウゼはその後もアリをボーカルとして iiO 名義の作品のリリースを続けた。有名なものとしては、ビルボードの Hot Dance Club Play チャートで全米1位になった2006年のシングル「Is It Love?」、2007年のリミックス・アルバム『Reconstruction Time: The Best Of iiO Remixed』、2011年のスタジオ・アルバム『Exit 110』がある。
※この「1980年–2005年:生い立ちと iiO」の解説は、「ナディア・アリ」の解説の一部です。
「1980年–2005年:生い立ちと iiO」を含む「ナディア・アリ」の記事については、「ナディア・アリ」の概要を参照ください。
- 1980年–2005年:生い立ちと iiOのページへのリンク