1970-1971: サーティース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:54 UTC 版)
「サーティース・TS7」の記事における「1970-1971: サーティース」の解説
サーティースはジョン・サーティースがBRMを離脱した後に設立した彼自身のチームである。彼はマクラーレン・M7Cを購入し、TS7が完成するまでそれを使用した。TS7は1970年イギリスグランプリで、サーティース自身のドライブでデビューした。予選は19位で通過したが、決勝は油圧のトラブルでリタイアとなる。ドイツグランプリでは予選を15位で通過、決勝はエンジントラブルで終了したが、9位完走という記録である。オーストリアグランプリでは予選12位、決勝はエンジンブローでリタイアとなった。イタリアでは予選10位、決勝はスタート直後に電気系のトラブルでストール、リタイアとなった。カナダでは予選5位、決勝も5位に入る。アメリカグランプリではデレック・ベルがセカンドドライバーとして加わり、サーティースは予選8位、ベルは13位となる。決勝ではサーティースがエンジンブローでリタイア、ベルは6位で完走した。メキシコではサーティース1台体制に戻り、予選15位、決勝8位となった。 チーム・サーティースはコンストラクターズチャンピオンシップで3ポイントを獲得し、ランキング8位となった。 1971年南アフリカグランプリでチーム・サーティースはTS9をサーティースに与え、ブライアン・レッドマンとロルフ・シュトメレンにTS7を与えた。シュトメレンは予選15位、レッドマンは17位となった。決勝はシュトメレンが12位、レッドマンは7位となった。次戦スペインからチームはすべてのマシンをTS9に切り替えた。 チーム・サーティースはコンストラクターズチャンピオンシップで8ポイントを獲得し、2年目のシーズンもランキング8位となった。
※この「1970-1971: サーティース」の解説は、「サーティース・TS7」の解説の一部です。
「1970-1971: サーティース」を含む「サーティース・TS7」の記事については、「サーティース・TS7」の概要を参照ください。
- 1970-1971: サーティースのページへのリンク