1918年の休戦協定
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「ドイツと連合国の休戦協定 (第一次世界大戦)」を参照 1918年10月頃の時点で、西部連合国軍総司令官フェルディナン・フォッシュ元帥の司令部用列車は、ワゴン・リ社の2418号食堂車(2419号車と同型)、1888号寝台車、2443号サロン車と2両の荷物車で編成されていた。 10月7日、フランスの軍務省はワゴン・リ社に対し、新たに1両の食堂車改造の会議用車両をフォッシュの司令部に提供するよう要求した。軍務省第4局のロワズルール中佐の書簡では、提供される車両には大小2つの執務室を設けること、厨房の調理用レンジを撤去しタイピスト用の席を作ること、大きい方の執務室には地図を広げられるだけのテーブルを設置すること、照明は電気によることなどが記されている。ワゴン・リ社はこの要求に従ってサン=ドニ工場で2419号車を改造した。 10月28日の夕方、改造を終えた2419号車はサン=ドニ工場を出庫した。当初行き先はパリ・リヨン・地中海鉄道(フランス語版)の沿線と偽装されていたが、途中で北へ向きを転じ、29日朝にサンリスに到着した。ここでマキシム・ウェイガン大将に引き渡された。フォッシュ司令部の列車は11月7日、コンピエーニュの森の中の、ルトンド(フランス語版)駅から分岐する線路の奥のある地点まで移動した。この線路は元は森の中に重砲を配置するためのものである。翌日にはドイツ代表団を乗せた列車が到着した。交渉の後、11月11日5時10分ごろ、2419号車の車内で連合国とドイツの休戦協定が調印された。
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