1873年以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/17 08:03 UTC 版)
「ジョン・ウェルボーン・ルート」の記事における「1873年以降」の解説
シカゴの軟弱な地盤に高層建築物の基礎が沈まないよう、鋼鉄小梁を組んた浮基礎システムをルートは開発した。この斬新な方法を1882年のモントーク・ビルでルートは最初に試み、さらに1887年のフェニックスビルでは、ウィリアム・ル・バロン・ジェニーの1885年のホームインシュアランスビルを真似て、耐力壁に替わる鋼製フレームの使用へとこれを応用した。 ルート、バーナム、ダンクマール・アドラー、それにルイス・サリヴァンは東部の建築家達が自分達を軽視していると感じたことから、西部建築家協会を設立し、1886年の会長をルートは務めた。翌1887年にはAIAのディレクターに選出。ルートの成熟期の作品は先述したようにアメリカ合衆国国定歴史建造物、アメリカ合衆国国家歴史登録財、シカゴ・ランドマークに指定され、その重要性が認識されてきている。 シカゴ世界コロンビア博計画にも従事したが、実現前に肺炎によって41歳で早世、シカゴ・グレースランド墓地に永眠。
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