1873年-1874年
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1873年(明治6年)2月13日、各港に常備艦を配置することになり、春日と鳳翔は兵庫港に配置されることになった。7月10日、修理が完成し品海に回航、22日更に横浜へ回航した。 清派遣 8月31日、台湾近海の測量が令達されが、見合わせとなった。その代わりに海路の研究として上海、香港方面に回航するよう10月に海軍省から申し出があり、10月29日太政大臣に認められた。10月31日、春日に同方面への回航が命じられ、11月13日品海を出港し、清へ進出、翌1874年(明治7年)5月24日長崎港(または品川)に帰港した。 練習艦 12月13日、春日は艦隊から除かれ、提督府所轄の練習艦となった。
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