1873年の6鎮台制
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1873年、明治6年7月19日に鎮台条例が制定され、鎮台の数は6つに増えた。鎮台の管轄地は軍管と呼ぶことになり、大阪鎮台の管地は第4軍管となった。このとき東隣に名古屋鎮台が新設され、大阪鎮台から北陸地方を譲った。また西隣に広島鎮台ができたため、四国地方を譲った。第4軍管は、近畿地方の大部分と中国地方東部を占め、これも新しくできた3つの師管に分けられた。第8師管は大阪、第9師管は大津、第10師管は姫路を本営とした。3つの師管を擁するのは大阪の第4軍管と東京鎮台の第1軍管だけで、他は2つであった。師管には同じ番号を持つ歩兵連隊1個が対応したので、大阪鎮台は3個歩兵連隊を持つことになった。師管内には複数の分営を配置した。 以上は軍備計画であって、制定時に発足できた歩兵連隊はなかった。大阪鎮台の3個歩兵連隊は、いずれも翌1874年(明治7年)12月に編成された。かつ発足時の屯営は第9連隊が大津でなく京都、第10連隊が姫路でなく岡山となった。 また、1873年は徴兵令が発布された年であり、第4軍管では1874年度から徴兵事務を開始した。旧藩兵の兵士(壮兵)と徴集された兵士はしばらくの間一緒に勤務した。
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