1873年恐慌と最初の倒産
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「ノーザン・パシフィック鉄道」の記事における「1873年恐慌と最初の倒産」の解説
1873年6月4日、東から建設されてきたレールがミズーリ川に到達した。7月14日には、ワシントン州タコマが西のターミナルと定められた。過去3年、ジェイ・クックは多大な資金をNP建設に投資していた。他の多くの大陸横断鉄道と同様、無人の荒野に路線を敷設することは莫大な資金が必要であった。さまざまな事情により、クックの投資会社は9月18日に閉鎖された。直後、1873年恐慌がアメリカを襲い、以後数年間、アメリカは景気後退の局面に入った。 NPは、その年の破産は免れた。それは、キャスにより緊縮財政がとられていたからであった。同年末までに、取締役のジョン・C・エインスワース(John C. Ainsworth)による土壇場の借金により、NPはカラマからタコマまでの110マイル(180km)の路線を完成することができた。12月16日、蒸気機関車が引く初めての列車がタコマに入った。しかしながら、翌1874年、NPは瀕死の状態になった。 1875年6月30日、NPは1回目の倒産に至る。キャスは管財人となるために社長を辞し、替わりにチャールズ・バーストー・ライト(Charles Barstow Wright)が第四代社長に就いた。フレデリック・ビリングス(Frederick H. Billings。モンタナ州ビリングスは彼の名にちなむ。後節参照)は会社再建策を策定した。同年、ジョージ・カスターは、ダコタ・テリトリー内のフォート・ライスを任され、鉄道の調査・測量作業員や建設作業員を保護した。
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