1872年(明治5年)成立の日蓮宗
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「日蓮宗」の記事における「1872年(明治5年)成立の日蓮宗」の解説
近代では、1872年 (明治5年) 教部省布達「一宗一管長」制に基づいて成立した教団を端緒とする。これには、一致派の身延門流、比企谷門流、中山門流、日昭門流、四条門流、六条門流などの他、勝劣派全門流が合同。初代管長には顕日琳 (勝劣派・陣門流)が就任した 。この時、新居日薩(1874年(明治7年)、身延山久遠寺73世、日蓮宗一致派初代管長)らの活動で、身延山久遠寺(山梨・身延門流)、長栄山本門寺(東京池上・比企谷門流)、正中山法華経寺(千葉・中山門流)、具足山妙顕寺(京都・四条門流)、大光山本圀寺(京都・六条門流)、妙塔山妙満寺(京都・什門流)、長久山本成寺(越後・陣門流)を七大本山とする制度を実施した。しかし、これに京都要法寺を始めとする興門派及び八品派 や一致派本山から異論が噴出する。教部省に訴えた結果、七本山の企ては頓挫し、管長は一致派・勝劣派に拘らない年番交代となった。 その後1874年 (明治7年) 3月、宗教行政の無理さや教義の違いから日蓮宗一致派と日蓮宗勝劣派に分かれたため、管長も各派別におくこととなる。前者は一致派全門流の合同教団となり、身延山久遠寺の新居日薩が初代管長に就任した。
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