1749年以降のノーサンバランド伯 (シーモア・パーシー家)
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「ノーサンバランド伯」の記事における「1749年以降のノーサンバランド伯 (シーモア・パーシー家)」の解説
11代ノーサンバランド伯ジョスリン・パーシーは男子を残さなかったが、娘エリザベス・パーシー(1667-1722)があり、アニック城をはじめとする北部イングランドの所領、サセックス州南部のペットワース荘園、ノーサンバランド・ハウスやサイオン・ハウスといったロンドンの邸宅などのノーサンバランド伯爵家の財産は彼女が相続していた。彼女は1682年の三度目の結婚で第6代サマセット公チャールズ・シーモアと結婚し、2人の間の息子アルジャーノン・シーモアは1748年に父の死で第7代サマセット公爵位を襲爵したが、男子がなかったので1749年10月2日に彼の娘エリザベス(英語版)の夫である第4代スミソン準男爵(英語版)ヒュー・スミソン(1714頃-1786)を特別継承者とするグレートブリテン貴族ノーサンバランド伯爵位とノーサンバランド州におけるワークワース城のワークワース男爵(Baron Warkworth, of Warkworth Castle in the County of Northumberland)に叙位された。 1750年2月に7代サマセット公が死去すると、特別継承者の規定に基づいてヒュー・スミソン準男爵が第2代ノーサンバランド伯と第2代ワークワース男爵を継承するとともに議会の議決によりパーシーに改姓した。このスミソン家はイングランド内戦の際に王党派に尽くした功績で王政復古後の1660年に準男爵に叙せられていた家柄でヨークシャーのスタニックに6000エーカーの土地を所有した中規模の地主だった。彼はパーシーに改姓した後もトーリー党の政治家として活躍し、1766年10月22日にはグレートブリテン貴族爵位ノーサンバーランド公爵に叙せられた。 これ以降、ノーサンバランド伯爵位はノーサンバランド公爵位の従属爵位の一つとして現在まで続いている。以降はノーサンバランド公爵を参照。
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