ニクソン・ショック
(ドルショック から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/15 03:03 UTC 版)
ニクソン・ショック、ニクソンショック(英: Nixon Shock)とは、1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が電撃的に発表した、既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を言う。当初は1番目のもの(7月15日のショック)を指し、(8月15日の)2番目のものは「ドル・ショック」と言われていた。その後、後者もニクソン・ショックと呼ばれることが多くなり、両者を併せて「2つのニクソン・ショック」と呼ばれることもある。
- 1 ニクソン・ショックとは
- 2 ニクソン・ショックの概要
ドル・ショック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 16:20 UTC 版)
「リチャード・ニクソン」の記事における「ドル・ショック」の解説
1971年8月の新しい経済政策の発表は世界を驚かせた。ニクソンは景気対策で好ましい成果を挙げることが出来なかった。そして1971年夏にはインフレ、高い失業率、不況というスタグフレーションに苦しめられて、中華人民共和国への電撃的な訪問を発表した直後に、上下両院の共和党議員との懇談の席で国内の経済状況についての苦言と注文を出されていた。そして8月に発表した新経済政策で誰も想像しなかったドルの金交換停止、輸入課徴金制度の設立、物価、賃金の凍結という思い切った施策を打ち出した。 これらは不況から抜け出せないアメリカを取り巻く状況で、ドルの切り下げが避けられない局面で、単なるドル平価の問題とせず、多国間での通貨調整という場にして劇的に行うことで、当面の問題解決を狙ったものであった。しかし、結局は固定相場制が崩れて変動相場制に完全に移行して、アメリカが再び強い経済力を発揮するのは1980年代に入ってからであった。 また、1974年には財政赤字を賄うのにも必要なドルの裏付けのためにキッシンジャー国務長官とともにサウジアラビアを訪問してファイサル国王やファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ第二副首相兼内相との会談で原油をドル建て決済で安定的に供給するサウジアラビアに米国は安全保障を提供する協定(ワシントン・リヤド密約)を結んでオイルダラーを確立することでドル防衛に成功した。
※この「ドル・ショック」の解説は、「リチャード・ニクソン」の解説の一部です。
「ドル・ショック」を含む「リチャード・ニクソン」の記事については、「リチャード・ニクソン」の概要を参照ください。
ドルショックと同じ種類の言葉
- ドルショックのページへのリンク