2人の妃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 10:23 UTC 版)
エゼルウルフは2度結婚している。1人目はオズブルガ(オズブルフ)で、子らはすべて1人目の妃オズブルガが産んだ子である。オズブルガはジュート人あるいはゴート人の支配階級と推定され、ワイト島を領していた。第2子エゼルバルドの名が840年以降、勅許状などに見られることから逆算すれば、ふたりの結婚は839年以前であったと推測される。 2人目は西フランク王シャルル2世の娘ジュディスで、結婚したとき12歳、エゼルウルフが858年に死んだ時点で15歳でしかなかった。この妃ジュディスは夫エゼルウルフの死後、その息子エゼルバルドと結婚したことで比較的有名な存在である。継母との結婚について「神の禁忌と偉大なるキリストに背き、不信心な快楽に手を出し」たなどと批判されてきたが、フランク王国の記録には何も残っていない。それどころか「教皇の承認があれば継母との結婚の正当性は保てる」という記録もある。実際のところ中世初期において父の死後に継母と結婚する例は、ブリテン島のみならずヨーロッパ各地で広くみられたことである。この目的は玉座の世代交代をスムーズにすることである。結婚時の聖別によってジュディスは王妃としての威信を備え、新しい王エゼルバルドがすでに威信を持ったジュディスと夫婦となることで、王国の求心力低下を防いだのである。
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