龍造寺鑑兼とは? わかりやすく解説

龍造寺鑑兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 01:14 UTC 版)

 
龍造寺鑑兼
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文11年(1542年
死没 慶長12年(1607年
別名 左衛門大夫
官位 左衛門佐
主君 龍造寺隆信政家高房
肥前佐賀藩
氏族 龍造寺氏
父母 龍造寺家門
兄弟 家泰、鑑兼龍造寺胤栄室、堤貞元室
家晴
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龍造寺 鑑兼(りゅうぞうじ あきかね)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士龍造寺氏の家臣。

略歴

天文11年(1542年)、龍造寺家門の子として誕生。大友義鑑から偏諱を受け、祖父・龍造寺家兼の1字と併せ、鑑兼を名乗る。

天文20年(1551年)9月、土橋栄益・高木鑑房・馬場鑑周・八戸宗暘神代勝利小田政光龍造寺隆信(家兼の曾孫で鑑兼の従甥にあたる)の家督相続に反対する勢力に擁立され、隆信と家督を争い、一時は隆信を居城から追放するまでに至る。しかし、天文22年(1553年)7月に蒲池氏の支援を受けた隆信が居城を奪回、反対勢力を駆逐するに及び、鑑兼は追放された。

ただしこの時は幼年の傀儡当主に過ぎなかったため後に罪を許され、以後は隆信に仕えた。

慶長12年(1607年)、死去。後裔は諌早龍造寺氏として栄えた。





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