龍造寺家和とは? わかりやすく解説

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龍造寺家和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 05:08 UTC 版)

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龍造寺家和
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 大永8年3月7日1528年3月27日[1]
別名 家員
墓所 佐賀県佐賀市高伝寺
官位 隠岐守
主君 九州千葉氏大内氏
氏族 龍造寺氏
父母 龍造寺康家
兄弟 胤家、内田左京亮室、家和、澄覚、
大炊助、家兼、天亨
胤和胤久、胤門、忠清
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龍造寺 家和(りゅうぞうじ いえかず)は、戦国時代武将龍造寺氏15代当主。

略歴

肥前国国人・龍造寺氏14代当主・龍造寺康家の次男として誕生。長兄・胤家が家中に争いを起こして出奔したため、家督を相続して15代当主となる。永正4年(1507年)に大内義興が中国・四国・九州の諸大名を招集して上洛を開始した際、大内軍の一員として上洛した。その後は九州千葉氏大内氏に従いながら肥前に勢力を保った。

享禄元年(1528年)に死去。跡を嫡男・胤和が継いだ。

脚注

  1. ^ 『鍋島直正公伝』

出典

  • 『鍋島直正公伝』(第1編)
  • 『龍造寺隆信譜』



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