諫早直孝
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
生誕 | 天正2年(1574年)[1] |
死没 | 寛永12年6月30日(1635年8月12日)[1] |
別名 | 万蔵、作次郎(通称) |
墓所 | 長崎県諫早市天祐寺 |
官位 | 石見守、右近将監、豊前守 |
主君 | 龍造寺政家、高房、鍋島直茂、勝茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 龍造寺氏、諫早鍋島家(諫早氏) |
父母 | 龍造寺家晴 |
兄弟 | 清直、直孝 |
妻 | 龍造寺政家娘・松壽院 鍋島直茂三女・彦菊 |
子 | 鍋島茂和正室、彦宮、茂敬 |
諫早 直孝(いさはや なおのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。諫早鍋島家(諫早氏)2代当主。
略歴
天正2年(1574年)、龍造寺家晴の子として誕生。兄・清直が父・家晴と仲違いしたため、直孝が家督を相続する。
地名を伊佐早より諫早に改め、龍造寺姓より諫早姓に改姓した。佐賀藩の親類同格(龍造寺四家)として、藩の中核として藩政をみた。
寛永12年(1635年)に死去。子・茂敬が後を継いだ。墓所は諫早氏代々の墓がある諫早市天祐寺。
系譜
脚注
出典
- 諫早家系事蹟 諫早史談会
- 『萩藩閥閲録』巻103「諫早清左衛門」
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