龍造寺家純とは? わかりやすく解説

龍造寺家純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 10:21 UTC 版)

 
龍造寺 家純
時代 戦国時代
生誕 文明11年(1479年
死没 天文14年1月23日1545年3月6日
官位 豊後守
主君 少弐資元冬尚
氏族 龍造寺氏
父母 父:龍造寺家兼、母:片田江家貞娘
兄弟 家純家門、豪覚[1]、於保胤宗室
玉洞尼
周家、純家、頼純、桃源院、千葉胤連正室、馬場政員室、犬塚尚家室
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龍造寺 家純(りゅうぞうじ いえすみ)は、戦国時代武将龍造寺隆信鍋島直茂の祖父にあたる。

生涯

文明11年(1479年)、龍造寺家兼の嫡男として誕生。母は片田江家貞の娘。

当初は父・家兼と共に少弐氏の家臣として活動し、享禄3年(1530年)の田手畷の戦いでは少弐氏方として奮戦し、大内氏を破るのに貢献した。父が少弐冬尚に疎んじられると共に少弐氏から離反したが、のちに和解が成立し父と共に帰参した。家臣の鍋島氏や旧主の九州千葉氏と姻戚関係を結ぶなど、龍造寺家の立場の強化に努めた。弟・家門を養子とし水ヶ江家の跡を継がせ、また、実子・周家を家門の養子として送り込み、本家である村中龍造寺家の龍造寺胤和から娘(後の慶誾尼)を迎え、周家の室としている。

天文14年(1545年)、龍造寺家の増長を恐れる少弐氏の重臣馬場頼周に暗殺された。しかし異説も多く、一説には頼周に煽動されて豪族・神代勝利と戦って敗死。または逃亡中に暗殺されたとも言われている。

系譜

  • 父:龍造寺家兼(1454-1546)
  • 母:片田江家貞の娘
  • 室:玉洞尼(-天文19年3月20日) - 蒲原家秀の娘:法名は玉洞祐金大姉
    • 長女:桃源院(-天文19年8月11日) - 鍋島清房の先妻、鍋島直茂
    • 男子:龍造寺周家(1504-1545) - 龍造寺家門の養子となる
    • 男子:豪覚(-天文7年3月3日):法印。佐賀宝琳院住職
    • 男子:龍造寺純家(-1545)
    • 男子:龍造寺頼純(-1545)
    • 女子:鍋島清虎の妻:鍋島清虎は鍋島直茂の従兄弟
    • 女子:心月妙鏡(-天正10年9月) - 馬場政員の妻、のち千葉胤連の妻
    • 女子:犬塚尚家室 - 後石井忠清継室

脚注

  1. ^ 川副博『龍造寺隆信』人物往来社〈日本の武将45〉、1967年。 




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