鳥取城北高校時代
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1986年、特に就職の条件を何も聞かずに、鳥取城北高等学校の体育教員・相撲部監督に着任。1987年、中国大会で団体優勝。1988年インターハイ初出場で団体3位。2011年には高校総体、国体などの全国6大会の団体・個人戦で優勝。鳥取城北が相撲の名門と言われるようになったのは平成以降のことであると、石浦本人が自著で語っている。石浦が指導した相撲部員の中には横綱の照ノ富士や琴光喜といった大関がおり、他にも関脇・逸ノ城、幕内・貴ノ岩、幕内・大喜鵬などがいる。長男の石浦将勝も幕内に昇進している。モットーとして「嘘のない稽古・教育」を掲げており、自宅の一部を相撲部員の寮にするなど、生活全般に渡り「人間づくり」を目指した指導に力を入れている。
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