鳥の子から紙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 03:43 UTC 版)
から紙の地紙はもともと檀紙(楮紙)や鳥の子紙(雁皮紙)が使われ、「京から紙」は主に鳥の子紙と奉書紙が用いられた。斐紙(ひし)と呼ばれていた雁皮紙は、特にその薄様が平安時代に貴族の女性達に好んで用いられ、「薄様」が通り名となっていた。この雁皮紙が鳥の子と称されるようになるのは、南北朝時代頃からである。 足代弘訓の『雑事記』の嘉暦3年(1328年)の条に「鳥の子色紙」の文字があり、『愚管記』の延文元年(1356年)の条に、「料紙鳥子」とあり、さらに伏見宮貞成親王の『看聞日記』永享7年(1431年)の条にも「料紙(りょうし)鳥子」の文字が見える。平安の女性的貴族文化の時代から、中世の男性的武士社会にはいって、厚用の雁皮紙が多くなり、薄様に対してこれを鳥の子紙と呼んだ。近世に入ると雁皮紙はすべて鳥の子紙と呼ぶようになった。 『宣胤卿記』の長享2年(1488年)の条に「越前打陰」(鳥の子紙の上下に雲の紋様を漉き込んだもので、打雲紙ともいう)、文亀2年(1502年)の条に「越前鳥子」の文字が記されている。「越前鳥子」の文字は他の史料にも多くあり、室町中期には越前の鳥の子が良質なものとして、持てはやされるようになっている。 この鳥の子紙に木版で紋様を施したのが「から紙」である。紙に紋様をつける試みは中国の南北朝時代に始まり隋・唐時代に発展した。日本でも奈良時代から行われ、中国の木版印刷による「紋唐紙」をまねて「から紙」作りが試みられ、「唐紙」にたいして「からかみ」と称した。京の紙加工の工人によってさまざまの独自の工夫が施され、量産されるようになって「ふすま」用の「から紙」に用いられるようになった。さらに木版印刷の技術の蓄積により、江戸時代になって千代紙として庶民にも親しまれるようになった。
※この「鳥の子から紙」の解説は、「唐紙」の解説の一部です。
「鳥の子から紙」を含む「唐紙」の記事については、「唐紙」の概要を参照ください。
- 鳥の子から紙のページへのリンク