魚津市立西布施小学校とは? わかりやすく解説

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魚津市立西布施小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/01 03:13 UTC 版)

魚津市立西布施小学校
北緯36度49分54.2秒 東経137度27分50.4秒 / 北緯36.831722度 東経137.464000度 / 36.831722; 137.464000
国公私立の別 公立学校
設置者 魚津市
1873年
閉校年月日 2016年3月27日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 937-0023
富山県魚津市長引野152
外部リンク 公式サイト (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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魚津市立西布施小学校(うおづしりつ にしふせしょうがっこう)は、富山県魚津市長引野152(布施川西側の河岸段丘上)にかつて存在した小学校

解説

魚津市の西布施地区を通学区域としていた。2016年(平成28年)4月に片貝小学校・吉島小学校と統合し、新たに「清流(せいりゅう)小学校」としてスタート[1]

閉校後、西布施小学校跡地には2017年に地域活性化センター『西布施交流館』が建てられた[2]

沿革

  • 1873年、布施村に静亮小学校創立[3]
  • 1876年11月、長引野又新村に温知小学校創立[3]
  • 1877年、小川寺村に生々小学校創立[3]
  • 1878年、蛇田村に耕文小学校創立[3]
  • 1889年、生々小学校と耕文小学校が合併し西布施第一簡易小学校に、静亮小学校と温知小学校が合併して西布施第二簡易小学校になる[3]
  • 1892年10月、西布施第一簡易小学校、西布施第一尋常小学校と改称。さらに1895年4月に小川寺尋常小学校に改称。
  • 1895年4月、西布施第二簡易小学校、西布施第二尋常小学校に改称。後に黒沢小学校に改称[3]
  • 1936年、小川寺、黒沢の両小学校を統合。西布施尋常小学校となる[3]
  • 1940年、小川寺教場に高等科を置く。
  • 1941年4月1日、西布施国民学校と改称。
  • 1944年、小川寺・黒沢の両教場を統合し、長引野に校舎移転[4]
  • 1947年、西布施小学校と改称。
  • 1952年魚津市の市制施行に伴い、魚津市立西布施小学校と改称。
  • 1966年12月、鉄筋2階建て校舎竣工[4]
  • 1992年、校舎大規模改修。
  • 2016年3月27日、清流小学校への統合のため、閉校。

関連項目

脚注

  1. ^ 清流小学校の校歌について(魚津市ホームページ) 2015年6月2日閲覧
  2. ^ 広報うおづ 2017年4月号(魚津市発行)20ページ『魚津市西布施地域活性化センターの愛称決定!』より。
  3. ^ a b c d e f g 角川日本地名大辞典 16 富山県(昭和54年10月8日、角川書店発行)647 - 648ページ
  4. ^ a b 『写真アルバム 新川の昭和』(2012年9月9日、いき出版発行)226ページ

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