高橋と『仮面ライダー』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:17 UTC 版)
『仮面ライダー』(1971年)では、仮面ライダー2号の変身ポーズを考案したが、これは監督の山田稔とプロデューサーの平山の「自分から変身するようにしたい。忍者の印のようなものは出来ないか」との提案に、高橋が「印を結ぶといえば一種のポーズだ、なんかかっこいいポーズを考えましょう」と応えて案出したものだった。平山は「この時初めて“ポーズ”という言葉が出た。これが変身ポーズという言葉の始まりだった」と語っている。 『仮面ライダー』については、「中屋敷鉄也、中村文弥、岡田勝らにはいろいろ無理を言って危険なことをやらせたが、よくやってくれた」と述懐している。歳下とはいえ、剣友会で「カシラ」の意見は絶対的であり、撮影で高橋にいきなり高所から下を指差され、「ここから飛び降りろ」と言われることも多く、中村や岡田、河原崎は泳げないので、川に飛び込むシーンでは「死ぬかと思った」そうである。新堀和男は数メートル下の地面に飛び降りろと言われ、「小一時間悩んだ」と述懐している。 大野剣友会は当時、日曜日になると後楽園ゆうえんち(現:東京ドームシティアトラクションズ)で『仮面ライダーショー』を実演し、人気を博していた。「壁の上から5メートルほど下の池(水深は30センチメートルほどしかない)まで飛び降りろ」と指示したが、中村は「無理だ」と答えた。すると高橋は「俺がやる」と衣装を着て、自ら本番で飛び降りて見せた。舞台は拍手大喝采だったが、高橋本人は両足裏打撲でしばらく松葉杖をつくことになった。このため、翌日からの第46話「対決!!雪山怪人ベアーコンガー」の第1回草津ロケには同行できなかった。 『仮面ライダーV3』第4話では、監督の奥中惇夫のアイディアで、中屋敷にV3の衣装を着けたまま命綱なしで高さ50メートルの煙突の上に立たせているが、「もしこのとき中屋敷が下に落ちたら、自分も死のうと考えていた」と語っている。
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