高柳重信とは? わかりやすく解説

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高柳重信

高柳重信の俳句

月光旅館/開けて開けてドアがある
きみ嫁けり遠き一つの訃に似たり
たてがみを刈り/たてがみを刈る/愛撫の晩年
まなこ荒れ/たちまち/朝の/終りかな
われら永く悪友たりき春火鉢
人恋ひてかなしきときを昼寝かな
友はみな征けりとおもふ懐手
友よ我は片腕すでに鬼となりぬ
孤島にて/不眠の鴉/白くなる
小松宮殿下の銅像近き桜かな
後朝や/いづこも/伊豆の/神無月
日が落ちて山脈といふ言葉かな
日本の夜霧の中の懐手
明日は/胸に咲く/血の華の/よひどれし/蕾かな
月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵
木の葉髪無職の名刺刷り上がる
松島を/逃げる/重たい/鸚鵡かな
沖に/父あり/日に一度/沖に日は落ち
淋しさよ/秩父も/鬼も/老いぬれば
港に/鱶は老い/遠き/海の大祭
胸中に刺客つぶやく夜のらつせる
船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな
見殺や/じつに静かに/百鳴る銅鑼
身をそらす虹の/絶巓/処刑台
軍鼓鳴り/荒涼と/秋の/痣となる
金魚玉明日は歴史の試験かな
飛騨の/山門の/考え杉の/みことかな
飛騨の/美し朝霧/朴葉焦がしの/みことかな
 

高柳重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/07 03:29 UTC 版)

高柳 重信たかやなぎ しげのぶ1923年1月9日 - 1983年7月8日)は、俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。

3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らと共に「前衛俳句」の旗手となった。歌人の高柳蕗子は実子。俳人の中村苑子事実婚(内縁関係)にあった。

来歴

  • 東京市小石川区(現文京区)に生れる。父の市良は群馬県佐波郡出身で、大蔵省技手、建築請負業を経て、戦後は印刷業に従事した。黄卯木の俳号を持つ俳人でもあった。妹の高柳美知子性教育の研究者で、"人間と性"教育研究協議会の創設メンバーを務めた。
  • 1931年:重信は小学校の国語の時間に俳句を作らされた。年譜などではこれが最初の句作のエピソードとして記されている。
  • 1935年:東京府立第九中学校に入学。1936年、父の所属誌『春蘭』に十句を投稿し、そのうちの二句が選出される(俳号は翠峰)。
  • 1940年:早稲田大学専門部法科に入学。「早大俳句研究会」に所属し、俳誌『睦月』に入会。また加藤元重ら友人と同人誌『群』(第一次)刊。号を翠子とあらためる。1941年、「愛国俳句欄」を設けた『睦月』の主旨に反対し、脱会。新たに友人らと「早大俳句会」の創立を計画したが、折からの大戦の勃発によって中断される。
  • 1942年:私誌『抵抗線』を謄写版刷で作成。『早大俳句』を創刊。大学は9月に繰り上げ卒業するが、同時に肺結核に罹患した。
  • 1943年:『群』(第二次)刊。翌年廃刊。
  • 1945年:群馬県に疎開し、前橋理研重工業に勤務。同地で終戦を迎える。
  • 1946年:俳句誌『群』(第三次)を群馬県で創刊。埼玉県戸田市に移転。文芸誌『薔薇』創刊。谷川洵の筆名で詩・短歌・散文を執筆。
  • 1947年:吉祥寺富沢赤黄男(かきお)邸を初めて訪問し、『太陽系』(のち『火山系』)に参加。恵幻子の筆名で評論を発表。『群』四・五月号に「提議」を掲げ、多行形式の作品発表を、野原正作、岡田利作らと行う。
  • 1948年:楠本憲吉ら友人と同人誌『弔旗』を創刊。多行形式の実践を行う。
  • 1949年:『火山系』の廃刊をうけ、新たに湊喬彦(三好行雄)らと『黒彌撒』創刊。塚本邦雄との交遊が始まる。
  • 1950年:第一句集『蕗子』を上梓
  • 1951年:富沢赤黄男らと『七面鳥』を創刊。黒彌撒同人句集『傾斜都市』を刊行。
  • 1951年:第二句集『伯爵領』を上梓。富沢赤黄男らを擁して『薔薇』を創刊。同誌は赤黄男が作品欄の選をする会員作品140名ほどの集団となる。
  • 1953年:山本篤子と結婚。現代俳句協会会員となる。11月、埼玉県俳句連盟発足、常任理事となる。長女蕗子生まれる。三橋鷹女「薔薇」に参加。
  • 1954年:初期作品を整理して第三句集『前略十年』を刊行。
  • 1956年:第四句集『罪囚植民地』を収める『黒彌撒』を上梓。
  • 1957年:『現代日本文学全集第九十一巻 現代俳句』(筑摩書房)に作品が収録される。
  • 1958年:『薔薇』を解消。三月に同志を募って総合同人誌『俳句評論』を創刊。創刊世話人は富沢赤黄男、三橋鷹女高屋窓秋永田耕衣三谷昭湊楊一郎折笠美秋ほか六名。中村苑子を『春燈』より招請し、同氏宅を発行所とする。妻、高柳篤子(後に渡米し、広岡マリの名で画家として活動)と離婚したのち、苑子と生涯をともにしたが、事実婚のままであった。
  • 1962年:同人合同作品集『現代俳句選集』刊行。富澤赤黄男死去。
  • 1965年:喀血し入院。退院後、『定本・富沢赤黄男句集』を刊行。
  • 1967年:サンケイ銀座俳句教室の講師に就任。
  • 1968年:総合誌『俳句研究』(俳句研究社、のち俳句研究新社)の編集長に就任。その後、同誌を通じて安井浩司坪内稔典夏石番矢摂津幸彦らを見出す。
  • 1970年:海程戦後俳句の会から『高柳重信句集』を刊行。1972年、第五句集『蒙塵』第六句集『遠耳父母』を収める『高柳重信全句集』刊行。
  • 1973年:新人発掘の強化を図るべく、五十句競作を企画し、みずから募集作品の選考にあたる。宇多喜代子澤好摩、摂津幸彦、大屋達治、藤原月彦(藤原龍一郎)、林桂長谷川櫂、夏石番矢らを見出す。
  • 1974年:第一評論集『バベルの塔』を刊行。
  • 1976年:第七句集『山海集』刊。『三橋鷹女全句集』『富澤赤黄男全句集』『高屋窓秋全句集』の編集に没頭。
  • 1977年:『俳句評論』創刊二十周年記念『昭和俳句選集』を編集し発行。立風書房『現代俳句全集』『鑑賞・現代俳句全集』の編集委員を担当。第八句集『山川蟬夫句抄』刊。
  • 1978年:第二評論集『現代俳句の軌跡』刊。
  • 1979年:第九句集『日本海軍』刊。
  • 1980年:山川蝉夫という別人格による作品『山川蝉夫句集』を発表。発想と同時に書ききるという一行の俳句形式を行う。俳句評論社『重信表 私版高柳重信年表』を、岩片仁次編、中村苑子監修で刊。俳句評論創刊二十五周年記念の評論集『現代俳句論叢』を編集刊。
  • 1983年:『俳句研究』50巻記念祝賀会を京王プラザホテルで開催。7月7日に肝硬変と診断される。翌日早朝、静脈瘤破裂により救急車で病院へ。午前6時14分に永眠。12月、『俳句評論』は第二百号記念と「追悼・高柳重信」を特集し、終刊となる。

著書

句集

  • 『蕗子』 1950年
  • 『伯爵領』 1952年
  • 『前略十年』 1954年
  • 『黒彌撒』 1956年
  • 『縮刷版・高柳重信作品集』 1959年
  • 『高柳重信句集』 1970年
  • 『遠耳父母』 1971年
  • 『高柳重信全句集』 1972年
  • 『青彌撒』 1974年
  • 『山海集』 1976年
  • 『山川蟬夫句抄』 1977年
  • 『日本海軍』 1979年
  • 『山川蝉夫句集』 1980年
  • 『高柳重信全集』(全三巻) 立風書房、1985年(第一巻が全句集にあたる)
  • 『高柳重信全句集』 沖積舎 2002年

評論集

  • 第一評論集『バベルの塔』 1974年
  • 第二評論集『現代俳句の軌跡』 1978年
  • 『俳句の海で 「俳句研究」編集後記集—68.4-83.8』 ワイズ出版 1995年

その他

  • 『夜想曲 高柳重信小句集』 ふらんす堂、1990年
  • 『重信表 私版高柳重信年表』 俳句評論社 1980年
  • 『高柳重信—さらば船長①』南方社 1982年
  • 『現代俳句の世界 14 金子兜太 高柳重信集』 朝日文庫 1984年
  • 『昭和俳句文学アルバム 高柳重信の世界』 梅里書房 1991年
  • 『高柳重信』 花神社 1993年
  • 『高柳重信』 蝸牛俳句文庫 1994年
  • 『戦後俳句の光彩 金子兜太・高柳重信』 群馬県立土屋文明記念文学館 1998年
  • 『高柳重信展』 戸田市郷土博物館 2001年
  • 『群馬文学全集 第十三巻  高柳重信 上村占魚 村越化石』 群馬県立土屋文明記念文学館 2002年
  • 『高柳重信読本』 角川学芸出版 2009年
  • 『高柳重信の一〇〇句を読む』 飯塚書店 2015年

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