船焼き捨てし/船長は//泳ぐかな
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船焼き捨てし 船長は 泳ぐかな 句集『蕗子』は、昭和25年8月東京太陽系社より刊行された。掲句も含めて、高柳重信24歳から27歳までの作品を収めた第一句集である。収録の全句が多行形式で表記され、それが一般俳人の感情を逆撫でしたという。 「当時の私は、客気に満ちあふれていて、俳壇の一切の既成権威を破壊するとともに、自分自身をも破壊し尽くすことを、ほとんど唯一絶対の念願としていた」と高柳はのちに書いているから、そんな反応はとっくに想定済みだったろう。 とは言うものの、掲句はさして難しい作品ではなく、若者の客気と無鉄砲、純粋さが少々気恥かしいほど素直に詠まれ、それが魅力と言える。しかし、例えば「船焼き捨てし船長は泳ぐかな」と、一行表記にしてみると、衝撃は弱まり、意外性も余韻も無い叙述文になってしまうのが多行形式のマジックだろう。 高柳は『蕗子』から『伯爵領』『罪囚植民地』へと多行形式を拡げ、『山海集』『日本海軍』に至って地名を俳枕として意識しつつ、戦後日本を俯瞰するという大きなスケールで俳句を構築する。まさに天才と呼ばれるにふさわしい軌跡であるが、一方で山川蟬夫という別号をもって定型に近い形の俳句も書き続けていた。 十七音一行表記という根幹から、現代俳句の枝葉は未来に向かってどんな風に拡がって行くのだろうか。凡人としてはただその巨木を見上げているばかりである。 撮影:松本浩直(フォトクラブ吉川) |
評 者 |
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備 考 |
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