高性能エンジンゆえの悲劇、そしてセアへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/19 00:07 UTC 版)
「フジ (エンジン)」の記事における「高性能エンジンゆえの悲劇、そしてセアへ」の解説
フジは、それまでのオートレース界の構図を変えるほどのエンジンであった。大半の選手がフジに乗り、半ば統一規格車となっていた。しかし一方で、直線のスピードが急激に上昇したことにより、従来の捌き・捲りを中心とした「抜きつ抜かれつ」のレースが減り、実際、コーナーでのスピードが従来のトラやメグロ二気筒と大差ないのにも関わらず、直線でのスピードが著しく上昇してしまったため、仕掛けどころがコーナーから直線に移り、ひたすらグリップを開けるというスタイルが徐々に定着してきていた。さらに、従来のエンジンを遙かに上回る激しい車体の振動により、白蝋病や腰痛を始めとする職業病を患う選手が続出してしまった。また、HKSの生産能力が月30台しかなく安定供給が出来ないという問題が露呈。さらに製作年度によって性能のバラつきが大きく、メンテナンス、修理にコストがかかりすぎるという選手の声が次第に増加した。1990年2月、「フジ二気筒は高性能に過ぎ、危険度が高く、安全かつ安定供給できる制度を求める」という趣旨の要望書を全日本オートレース選手会が提出。それを受諾した日本小型自動車振興会により、新エンジン「セア」が開発される。そして、1993年10月1日、オートレース史上初となる全選手一斉乗り換えにより、フジは他のエンジンと共に姿を消した。
※この「高性能エンジンゆえの悲劇、そしてセアへ」の解説は、「フジ (エンジン)」の解説の一部です。
「高性能エンジンゆえの悲劇、そしてセアへ」を含む「フジ (エンジン)」の記事については、「フジ (エンジン)」の概要を参照ください。
- 高性能エンジンゆえの悲劇、そしてセアへのページへのリンク