高性能タイヤの功罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 07:18 UTC 版)
「全日本F3000選手権」の記事における「高性能タイヤの功罪」の解説
全日本F3000ではブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマの3メーカーによって熾烈なタイヤ開発競争が行われていた。ロス・チーバ―はこの状況を「全日本選手権とは何かと問えば、それは3つのタイヤメーカーの争いに他ならない」と表現している。その結果F1並に予選用タイヤが用意されたり、ダンロップのように一国内選手権のためにオフシーズンに海外テストを行うメーカーも存在した。その結果全日本F3000のタイヤは極めて高性能なものとなり、予選用タイヤを使用するとコーナリングスピードではF1を凌ぐほどになっていた。 ミハエル・シューマッハは、「ボクはF1に行くから、高度でよりF1に近い日本のF3000は勉強になる」として、1991年に国際F3000ではなく全日本F3000にスポット参戦し、その1か月後にベルギーGPでジョーダンからF1デビューしたが、「ジョーダンで予選に出場した時も、F3000とF1と、それほどのギャップがあるとは思わなかった」と語っている。 高性能なタイヤによって、全日本F3000はハイレベルなレースが展開されるようになったが問題がなかったわけではない。一つにはレースの要素としてタイヤの重要性が突出していた、ということである。1989年に全日本F3000とエイヴォンタイヤのワンメイクで行われていたイギリスF3000を掛け持ち参戦していたアンドリュー・ギルバート=スコットは全日本F3000について「タイヤが占めるマシン性能のパーセンテージが大きいのに驚かされる」、「大げさに言うとタイヤメーカーが勝敗の鍵を握っていると考えていいんじゃないか」と指摘している。 また、(サーキットの路面も含めて)ヨーロッパのレース環境と異なる状況に全日本F3000がなっていたことを鈴木亜久里が指摘している。1989年からF1に参戦するようになった鈴木は、日本の走り方ではタイムが出ないことに気づき、ライン取りを日本時代とは変えていったという。
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