高岡商工会議所伏木支所(旧伏木銀行)
名称: | 高岡商工会議所伏木支所(旧伏木銀行) |
ふりがな: | たかおかしょうこうかいぎしょふしきししょ(きゅうふしきぎんこう) |
登録番号: | 16 - 0001 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 木造2階建、瓦葺、建築面積261㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治43 |
代表都道府県: | 富山県 |
所在地: | 富山県高岡市伏木湊町7-1 |
登録基準: | 造形の規範となっているもの |
備考(調査): | 富山県近代化遺産(建造物等)総合調査 |
施工者: | |
解説文: | 土蔵造の町家の意匠を基調に,スクラッチタイルの壁,玄関ポーチの柱,上げ下げ窓,軒蛇腹,天井,階段等に洋風の意匠を取り入れた建物。土蔵造の町家が数多く残る高岡の町並みの中で,洋風の意匠をふんだんに取り入れた先駆的な建物である。 |
高岡商工会議所伏木支所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/22 07:01 UTC 版)

高岡商工会議所伏木支所(たかおかしょうこうかいぎしょふしきししょ)は、富山県高岡市伏木湊町にある歴史的建造物。「高岡商工会議所伏木支所(旧伏木銀行)」として国の登録有形文化財に登録されている[1]。
なお、2024年(令和6年)1月1日の能登半島地震で建物が被災し、組織としての高岡商工会議所伏木支所は近隣の建物に移転している[2]。本項では登録有形文化財の建物について述べる。
概要
富山県高岡市伏木の湊町通りの最奥にある建物で、伏木銀行の建物として1910年(明治43年)に再築された[3][4]。
伏木は明治時代後半に北海道への移民の中継地として、北海道への移住者、鰊場出稼人、能登や富山湾沿岸への旅行者で賑わった[3]。建物は1974年(昭和49年)に高岡商工会議所伏木支所となった[3]。
1996年(平成8年)12月20日、国の登録有形文化財に登録された[1]。
2024年(令和6年)1月1日の能登半島地震で建物は被災し、壁に亀裂が生じたり、タイルがはがれたりしたほか、建物には傾きも生じている[2]。建物の被災により、組織としての高岡商工会議所伏木支所は氷見伏木信用金庫伏木支店(高岡市伏木錦町)2階に移転した[2]。
公費解体へ
高岡商工会議所では復旧を模索していたが、液状化現象の被害が大きいため断念し、2024年(令和6年)12月に公費解体を申請した[5]。解体時期は未定[5]。高岡商工会議所伏木支所は当面の間、氷見伏木信用金庫伏木支店内で業務を続けることとなった[5]。
建築
寄棟2階建ての土蔵造りに洋風の意匠を採り入れた銀行建築である[3][4]。
周辺施設
脚注
- ^ a b “高岡市の文化財 No.2”. 富山県. 2024年3月28日閲覧。
- ^ a b c “商議所伏木支所 被災で信金内に 復興へ連携 経済活動継続”. 中日新聞. 2024年3月28日閲覧。
- ^ a b c d “高岡市立博物館 博物館だより 1997年3月号”. 高岡市立博物館 博物館. 2024年3月28日閲覧。
- ^ a b “高岡商工会議所伏木支所”. 日本遺産 ポータルサイト. 2024年3月28日閲覧。
- ^ a b c 被災の高岡商議所伏木支所、公費解体へ 国登録有形文化財、液状化被害大きく修復断念 北日本新聞、2025年2月22日閲覧。
- ^ a b “高岡商工会議所伏木支所(旧伏木銀行)”. 文化庁文化遺産オンライン. 2024年3月28日閲覧。
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