高倉永範とは? わかりやすく解説

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高倉永範

読み方たかくら

江戸後期公卿。永秀の次男仕えて正三位参議に至る。文化2年(1805)歿、53才。

高倉永範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/03 05:28 UTC 版)

 
高倉 永範
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦3年2月9日1753年3月13日
死没 文化2年8月4日1805年8月27日
戒名 体量院性誉博質得忍
官位 正三位参議
主君 桃園天皇後桜町天皇後桃園天皇光格天皇
氏族 高倉家
父母 父:高倉永秀、母:西洞院範篤の娘
兄弟 永晃、永範
永彰永雅
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高倉 永範 (たかくら ながのり)は、江戸時代中期の公卿参議高倉永秀の子。官位正三位参議高倉家17代。戒名は体量院性誉博質得忍[1]

官歴

公卿補任』による

系譜

系図纂要』による

脚注

  1. ^ 系図纂要
先代
高倉永秀
高倉家
17代
次代
高倉永彰


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