高倉永豊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/02 04:05 UTC 版)
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時代 | 室町時代中期 |
生誕 | 応永14年(1407年) |
死没 | 文明10年6月19日(1478年7月18日) |
改名 | 永豊→常慶(法名) |
官位 | 正二位、権中納言 |
主君 | 称光天皇→後花園天皇→後土御門天皇 |
氏族 | 高倉家 |
父母 | 父:高倉永藤、母:不詳 |
兄弟 | 永豊、永国 |
子 | 永継、今出川教季室、永熈 |
高倉 永豊 (たかくら ながとよ)は、室町時代中期の公卿。参議・高倉永藤の子。官位は正二位・権中納言。高倉家4代。法名は常慶。
高倉家で初めて正二位・権中納言まで昇進した。
経歴
嘉吉4年(1444年) 従三位・非参議に任ぜられ、公卿に列する[1][2]。その後、従三位、正三位、従二位に昇進する一方で、右衛門督、備中権守を歴任する[1][2]。享徳3年(1454年)高倉家で初めて権中納言に昇進[1][2]。翌康正元年(1455年)高倉家で初めて正二位に昇進する[1][2]。康正3年(1457年)に権中納言を辞し、2日後に出家[1][2]。文明10年(1478年)薨去[1][2]。享年72[2][3]。
官歴
注釈のないものは『公卿補任』による
- 時期不詳:右衛門督[2]
- 応永25年(1418年) 正月5日:従五位上[2]
- 応永33年(1426年) 正月6日:従四位下[2]
- 嘉吉4年(1444年) 正月6日:従三位、非参議、右衛門督如元
- 文安6年(1449年) 正月5日:正三位
- 宝徳元年(1449年) 閏10月某日:参議
- 宝徳2年(1450年) 3月29日:兼備中権守
- 宝徳3年(1451年) 某日:辞参議
- 享徳元年(1452年) 閏8月18日:従二位
- 享徳3年(1454年) 7月14日:権中納言
- 康正元年(1455年) 某日:正二位
- 康正3年(1457年) 6月17日:辞権中納言。6月19日:出家(法名常慶)
- 文明10年(1478年) 6月19日:薨去(享年72[3])
系譜
脚注
- ^ a b c d e f g h 『公卿補任』
- ^ a b c d e f g h i j k l 『諸家伝』巻8
- ^ a b 『公卿補任』では享年102歳とするが、父永藤の生年と年代が合わない。
- ^ a b 『系図纂要』
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