高倉為盛とは? わかりやすく解説

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高倉為盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/18 02:59 UTC 版)

 
高倉 為盛
時代 江戸時代
生誕 慶長11年(1606年
死没 天和2年(1682年
別名 五兵衛、休能、盛成、主計
陸奥弘前藩
氏族 清和源氏二本松氏流高倉氏
父母 父:鍋倉秀道(次男)、母:高倉盛次娘、養父:高倉盛次
盛保

高倉 為盛(たかくら ためもり)は、江戸時代前期の陸奥弘前藩武士

事績

最上家家臣・鍋倉秀道の次男として生まれた。父は最上家が改易となった後、佐竹家に仕え、為盛は母方の祖父・高倉盛次の養子となって、津軽氏に仕えた。養父盛次が江戸で不調法があり、共に浪人となったが、寛永17年(1640年)津軽氏に300石、児小姓頭として仕官した。慶安2年(1649年)、200石加増で500石となる。そして、家老となり、さらに300石の加増で800石となった。明暦2年(1656年)、津軽信義の死による津軽信英の黒石分地を円満に解決すると、寛文4年(1664年)、隠居した。隠居の際に剃髪し、休能を称し、隠居料300石を食んだ。隠居後も武道を忘れず、主君・津軽信政を茶室に招いた際、天井を槍の柄を持って、縁とし、信政を感動させたという。天和2年(1682年)、江戸で死去した。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



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