馬車製造業者時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 07:20 UTC 版)
「スチュードベーカー」の記事における「馬車製造業者時代」の解説
クレメントとヘンリーのスチュードベーカー兄弟が1852年にスチュードベーカー・ブラザース・マニュファクチャリング・カンパニー(Studebaker Brothers Manufacturing Company)を創業した。当初は荷馬車の金属部品製造からはじめ、次いで自社での馬車製造に手をつけた。1875年に末っ子のジェイコブが工場を担当し、サルキーやガラス窓が5箇所ついたランドーレットを作るようになった。しかし1874年に工場が大火に遭い、3分の2が焼けた。サウスベンドに再建した工場は20エーカー(81,000 m2)もあり『世界最大の車両工場』といわれた。 1889年には、大統領ベンジャミン・ハリソンがホワイトハウス用にスチュードベーカー製の馬車とフルセットの馬具を購入した。この時期にはサウスベンド工場は100エーカー近くの規模となり、ボイラー設備を20、発電機を16、大型定置型エンジンを16、プーリーを1000、木工・鉄工用工作機械を600、ベルトを7マイル(11 km)と、多くの蒸気ポンプを擁し、500のアーク灯と白熱灯が夜通し白光を放っていた。そんな中1893年の金融恐慌で販売が落ち込み、工場は5週間の休業となったが、労使関係は良好であり、全従業員は会社に忠誠をつくした。 1877年から1917年にかけて5人の兄弟がみな世を去ると、彼らの息子や娘婿が、後を継いだ。なかでもジョン・モーラーの娘と1891年に結婚したフレッド・フィッシュ(Fred Fish Sr)が著名である。ほかに、ジョージ(George M Studebaker)、クレメント(Clement Studebaker Jr)、フレッドの息子のフレデリック(Frederick Studebaker Fish)らがいる。
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