馬インフルエンザと厩務員ストライキで狂ったスケジュール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 22:54 UTC 版)
「タカイホーマ」の記事における「馬インフルエンザと厩務員ストライキで狂ったスケジュール」の解説
1971年(昭和46年)の暮れ、競馬界は馬インフルエンザ(流感)に襲われた。日本国内での発症は初めてであり、対策が遅れ、関東地方を中心に2000頭あまりが罹患する大流行となった 。12月には多くの馬が出走ができなくなり、有馬記念でも有力馬が次々と出走取消となった。 翌1972年は、関東の中央競馬開催は年初から全面的に休止となった。関西では競馬の中止には至らなかったものの、栗東のトレーニングセンターは閉鎖された。さらに、この年に結成された厩務員の組合がストライキを決行し、調教ができなくなった。これらの影響で大レースのスケジュールは軒並み乱れ、1ヶ月から2ヶ月遅れで開催されることになった。牝馬のクラシック競走第1弾である桜花賞は通常の4月前半ではなく5月21日に開催、続く優駿牝馬(オークス)は5月半ばではなく7月2日に行うことになった。そしてこれらの大レースの前哨戦となるステップレースは、関西地区では通常通りのスケジュールだが、関東では大幅に遅れることになった。関東の競走馬は調教もろくにできない状態が続き、これらが各馬の調整に大きな影響を及ぼすことになった。関西牝馬の筆頭格、シンモエダケの調教師は当時、次のように述べている。「こちらも、以前の日程にあわせて馬をつくっているんで、狂いが出ていることはたしかです。これは関東でも同じでしょうが、関東では競馬を休み、こっちは競馬をしていた、という違いがあります。これがどう現れるか、ですね。」
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