香港アクション映画の俳優として
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「黄仁植」の記事における「香港アクション映画の俳優として」の解説
1972年、香港の映画製作者ウォン・フォン(黄楓) (Huang Feng) がソウルをロケのために訪れた。このとき、ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、アンジェラ・マオ (Angela Mao) らも連れてきている。ウォン・フォンは香港のアクション映画に導入する印象的で新しい技術をもとめており、スターたちに4ヶ月間ハプキドー協会本部道場での訓練を行わせた。このとき指導に当たったのが、池漢載と黄仁植である。香港映画のアクションで見られる印象的な蹴りは、この異文化交流の影響によって発展したものである。サモ・ハンはこの訓練を好み、飛び蹴りなどいくつかの印象的なアクションはハプキドーの教程から得られている。 ハプキドーに印象を受けたウォン・フォンは、池漢載と黄仁植を香港に招くとともに、韓国での経験を反映させた映画を製作している。この年に作られた映画『アンジェラ・マオの女活殺拳』(原題 Hapkido)では、池漢載と黄仁植が「中国人にハプキドーを教える師匠と一番弟子」という本人役で出演している。この作品とこれに続くいくつかの作品群では、池漢載の固め技・投げ技とともに、黄仁植の蹴り技も印象に残る見せ方がなされている。黄仁植が出演した映画のアクションには、ハプキドーの要素が多く取り入れられており、香港や中国などで「ハプキドー」の名を広めることとなった。 黄仁植は、ブルース・リー監督主演の『ドラゴンへの道』に、日本人の空手家役として出演している。ブルース・リーが死去する週に、リーと黄仁植は『死亡遊戯』のある場面について話し合ったことがあるという。香港で多くの作品に出演するほか、韓国のアクション映画に出演しているが、1976年以降カナダに移住し、映画界からは引退状態となった。 黄仁植が出演していた映画でスタントマンとして活動していたジャッキー・チェンは、その後香港映画界のスターの階段を登った。ジャッキー・チェンは引退していた黄仁植を説得し、『ヤングマスター 師弟出馬』(1980年)に出演させることに成功している。ジャッキーと黄仁植の15分にわたる格闘シーンは名シーンとされる。『ヤングマスター』の続編として企画された『ドラゴンロード』(1982年)にも出演し、ジャッキーの前に立ちはだかる悪役武道家を演じきった。
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