香水ビジネスへの参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 22:26 UTC 版)
「フランソワ・コティ」の記事における「香水ビジネスへの参入」の解説
パリでエマニュエルの右腕として活躍する傍ら、友人の薬剤師を通じて、香水の知識と調香を学び、自らの母の旧姓に由来してコティ社を創立。化学者のレイモン・コレリーの助力を得て、フランスでも香水のメッカとして名高かったグラース産の香水の製造・販売を始めると共に、1904年には最初の香水となる「ローズ・ジャックミノー」を発売する。 また香水をこれまでの素っ気のない瓶ではなく、アール・ヌーヴォーの宝飾家、ルネ・ラリックがデザインしたガラス瓶に詰めて売り出すなど、マーケターとしての先見性をも兼ね備えていたことで、コティ社の香水は、瞬く間に人気を博し、コティは巨万の富を得ることになる。その後も1906年には「ジャスミン・ド・コルス」、1909年には「ロリガン」などを発売し、ラリックのボトルデザインによる香水は人気を博してゆく。また1908年にはコティ社はシュレンヌに本社を構え、9000人の従業員を抱えるまでに成長していた。やがて第一次世界大戦にアメリカ軍兵士が多数フランスに上陸したことで、終戦後コティ社の香水はアメリカにまで、市場を拡大することとなる。
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