養女コルバ・ド・トリニエ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 07:56 UTC 版)
「フルク4世」の記事における「養女コルバ・ド・トリニエ」の解説
フルク4世は護下にある領地と近隣の領主達を非常に注意深く見ていたようである。臣下である小貴族の相続人の生活も統制していたフルク4世の関心は言うまでもなく、アンボワーズ城の三城の内の一城を所有していたフーソワの娘コルバのエピソードが知られている。コルバは最初家族によって貞節を守られていた。彼女の外伯父に当たるアンボワーズ卿シュルピスはコルバの結婚によりフルク4世に財産を掌握されないように注意している。 しかし、フルク4世はコルバに求婚を受け入れさせるためにダンボワーズの第3城の城守である既知の名高い1人の騎士を懐柔し、コルバに圧力を掛け交渉し、結婚を承諾させた。 しかし、コルバの夫は城での生活には魅力を感じず、彼のいとこであるユーグと一緒に十字軍に行くことを決意する。一緒に十字軍遠征に参加した。コルバの夫は十字軍遠征中に亡くなり、知らせが周知になるとすぐに、フルク4世は故人の家族等に相談する間もなく若い未亡人となったコルバの後見に付く。コルバを心配したフルクは、次のアンボワーズ城の城守にすべく老騎士サント卿アシャールとコルバを間もなく再婚させた。 再婚相手サント卿アシャールは若い新妻コルバとの結婚に喜び、フルク4世に大金を支払ってくれたため、城の警備が厳重になり、一石二鳥の利を得たフルクはこの結婚をとても喜んだ。 しかし、コルバの前夫と一緒に死んだと思われていたユーグは十字軍から生還し、アシャールはユーグにコルバとの仲を裂かれることを恐れ、トゥールーズのサン=マルタンの地下室にコルバを幽閉し、アシャールの兄弟に警護させた。 トゥールーズでコルバは、常に監視下に置かれそこの景色や人々に退屈していた。コルバはアンボワーズの貴族のからの告げ口でユーグが生きており、捕虜とされている実情を知ってしまう。 コルバは自分を騙し続けた年老いた夫に二度と会わず、アシャールは妻に拒絶された絶望により死去してしまう。 コルバの一族はもはや最初の過ちを犯さず、再び未亡人となったコルバはアンボワーズに恩義のある騎士である最初の夫と再び結婚した。しかし、いとこのユーグはすぐに1109年にアキテーヌ公ギヨーム9世が遠征した十字軍に加わり、コルバもそれに同行した際、移動中にコルバは包囲されて行方不明となり、トルコ人によって虐殺され最期を迎えたとされる。
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