飛虎の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:05 UTC 版)
「フライング・タイガース」の記事における「飛虎の活躍」の解説
シェンノートらAVGのメンバーは民間人として、友好国イギリスの植民地のビルマに向け5~6週間かけて渡航、現地にて正式に中華民国軍に入隊。ラングーンの北にあるキェダウ航空基地を借り受け本拠地とした。残りのAVGメンバーも1941年の11月に到着した戦闘機「カーチス P-40C型」の組み立てを始めた。シェンノートはまず部隊全体を3つに分けた。 第一戦隊「アダム&イヴ (1st Squadron Adam & Eves)」 第二戦隊「パンダ・ベアーズ (2nd Squadron Panda Bears)」 第三戦隊「地獄の天使達 (3rd Squadron Hell's Angels)」 AVG隊員ロット全員のフライトジャケット(当時は耐久力のある合成繊維はまだ存在せず革のみ)の背中には「来華助戦洋人 軍民一体救護」(この者は中華民国軍を援助するために来た西洋人である、軍・民無関係にこの者を支援すべき)と書かれた認証「ブラッドチット」が縫い付けられた(右図参照)。不時着や撃墜などで帰投できない場合、現地民に救助を願う証票にもなった。 中華民国軍への援助物資の荷揚げ港であるビルマのラングーンと中華民国の首都である重慶を結ぶ3,200kmの援蔣ルート(「ビルマ・ロード」)上空の制空権確保がAVGの目的だった。シェンノートが立案した作戦は「防御追撃戦略」と言われ、敵爆撃機が目標に到着する直前に迎撃機を発進させるもの。しかし後から着任した上官は爆撃機重視の見解であり、戦闘機重視のシェンノートと激しく対立。 中でも中国戦区参謀長スティルウェル陸軍中将はシェンノートに対し、「航空戦力では敵地上軍には損害は与えられない、爆撃機こそが唯一打撃を与えられる物だ、また戦争に勝利するのは塹壕にこもった歩兵である」と豪語、これに対し、「塹壕に篭った歩兵など何処にもいません」と反論した。その後もスティルウェルとシェンノートとの対立は続き、シェンノートが唱える「防御追撃戦略」に対してもほかの戦歴を引用し、否決に追い込もうともさえした。
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