顕彰・記念碑
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1828年(文政11年)新川通に小祠を建て栗田大人として祀られた。さらに1857年(安政4年)藩へ請願して栗田神社を建て栗田大明神と称することを許された。そして1912年(大正元年)8月13日に雄物川改修工事によって現在の地に遷座する。秋田県秋田市新屋の栗田神社には、奥山君鳳の文による1832年(天保3年)10月の碑が建っている。 秋田市楢山南中町の楢山公園には栗田定之丞住宅址の石碑がある。 能代市豊祥岱にも栗田神社があり、「栗田定之丞如茂の事績」の説明看板がある。出戸小児公園には「栗田定之丞の植えた松」の標柱がある。能代市大内田村では1863年に清水直宜が「栽松止風沙記」をまとめて、栗田の偉業をたたえ、天保年間に栗田の碑を建てて仏誕会に祭祀を行ったという。現在の頌徳碑は1936年に建てられたものである。 墓所は、秋田市楢山古川新町の寳徳山満福寺。昭和59年、顕彰会が新たに墓石を旧墓石の隣に建立し開眼供養をし、同地に顕彰板を立てる。戒名は耕昌院如茂定雲居士。墓石の後ろにはその功績をたたえ、松が植樹されている。 1915年(大正4年)、従五位を追贈された。
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