題材選定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:08 UTC 版)
「カヴァレリア・ルスティカーナ」の記事における「題材選定まで」の解説
ソンゾーニョ社の一幕物オペラ・コンクール、ソンゾーニョ・コンクール(第2回)の募集要項は、同社の雑誌“Il Secolo”誌および“Il Teatro Illustrato”誌の1888年7月1日号に掲載された。1等3000リラ、仮に2等であっても2000リラの賞金は、イタリア南部チェリニョーラの低収入音楽教師の地位に甘んじていた当時25歳のマスカーニ(実際、彼はピアノを借りる金にも事欠いていた)にとってほぼ年収相当の金額を意味したし、ここで高評価を得れば彼がイタリア楽壇に再認識されるのも疑いなかった。 応募締切は翌年1889年5月31日、わずか11か月先であり、マスカーニは題材選択を急いだ。彼の既存作『グリエルモ・ラトクリフ』は4幕物でコンクールの要件を満たさなかったため、新たな台本を必要としていたのである。また、高名な台本作家たちは前金なしでは筆を進めないことも明らかだったので、彼はリヴォルノの同郷人で同年齢、幼少からの知己であり、教師を務めながら詩作の道を目指していたジョヴァンニ・タルジョーニ=トッツェッティ(イタリア語版)に題材選定と台本作成を依頼した。
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