革命のシンボル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 02:27 UTC 版)
「ラ・マルセイエーズ」の記事における「革命のシンボル」の解説
フランスの国旗(三色旗)と共に、ラ・マルセイエーズは19世紀のヨーロッパで、普遍的な自由と革命のシンボルとして高い知名度を誇った。革命後のロシアでは1917年から短期間、ロシア語版(労働者のラ・マルセイエーズ)が国歌に採用された。パリ・コミューンで生まれ、その後ソ連国歌となった『インターナショナル』共々、フランス内外で左翼の歌として広まった(元々が軍歌兼革命歌だったのだから、当然と言えないこともないが)。1848年の諸革命でヨーロッパ各国で歌われたことから、第三共和政も成立当初はラ・マルセイエーズを国歌に定めることを躊躇した。しかし普仏戦争敗北以降、フランスではドイツへの復讐を誓う空気が強くなり(最後の授業、ブーランジェ将軍事件も参照)、国内ではむしろ右翼の愛国歌として定着した。1934年2月6日の危機では左派がインターナショナル、右派がラ・マルセイエーズを合唱した。 ラ・マルセイエーズの持つ思想的な響き、他国の国歌と比べて好戦的な歌詞は21世紀に至るまでたびたび物議を醸しているが、それでも二度の世界大戦を経て、この歌はフランス国民の団結のシンボルとして広く受容されている
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