青樹会とは? わかりやすく解説

青樹会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:48 UTC 版)

太田聴雨」の記事における「青樹会」の解説

1913年大正2年巽画会第13回展に《鏡ヶ池》を出品して初入選。当時巽画会新進画家たち登竜門であるだけでなく、青年画家育成謳って定例研究会開いていた。聴はこれに参加すると共に終生の画友となる小林三季同輩仲間別に研究会持ち研究40数回重ねた1918年大正7年)青樹会とした。既に会の中心人物となっていた聴は、会として展覧会開いて世にでるため、信者偽って浅草メソジスト教会部屋借りて第一回展を開く。翌年第二回展以降作品公募して会の拡張を図る。この頃の聴は、文展院展出品した形跡がなく、青樹会の発展自分未来をかけていた。この頃作品はあまり残っていないが、そうじて文学趣味ロマンティシズム感じさせる作品が多い。 1922年大正11年)には「反帝展・反院展」を旗印に、日本画の小団体である高原会・蒼空邦画会・行社・赤人社と第一作同盟結成する。これは日本プロレタリア芸術先駆けとして知られているが、その主体である高原一派政治色明確になると、その年のうちに青樹社はこれを脱退している。ところが、翌年第六回展を開いていると、ちょうど関東大震災襲い経済的基盤もたない青樹社資金難に陥り、会員四散してしまう。深い挫折味わったは、生活のために挿絵手がけるものの本制作の筆を絶ち再起三年要した

※この「青樹会」の解説は、「太田聴雨」の解説の一部です。
「青樹会」を含む「太田聴雨」の記事については、「太田聴雨」の概要を参照ください。

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