震災と閉店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 02:16 UTC 版)
「カフェー・プランタン」の記事における「震災と閉店」の解説
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で日吉町の店は焼失した。 震災後の一時期、牛込区の神楽坂に支店を出した。こちらの店にも文化人が集まり、また早大生に特に愛されたという。平岡と市川猿之助が上海で買った麻雀牌をこの店に持ち込み、はじめは誰もルールを知らなかったがやがてブームとなり、佐佐木茂索、広津和郎、菊池寛、濱尾四郎、久米正雄らが麻雀に興じた。麻雀史ではこの日本麻雀の黎明期をプランタン時代と称する。往年のにぎやかさを取り戻した感のある神楽坂店は震災の翌年から約2年営業した。 本店は震災後、日吉町の東側、銀座通り沿いの南金六町(現在の銀座8丁目9番16号)に移転した。その後、女給の接待中心のカフェーが全盛となると「カフェー」の名称を外し、喫茶店「ル・プランタン」と改め、裏側に酒場「ドートンヌ」(秋の意)を開いた。カフェーの名を廃し「茶房ル・プランタン」に改めたのは1935年(昭和10年)とされる。 第二次世界大戦中は休業状態になり、空襲の激しくなった1945年(昭和20年)3月、建物疎開により店は取り壊された。
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