電通映画社設立
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1943年6月、映画部を分社化して政岡憲三らの日本映画科学研究所、桜井剛堂らの京都映音研究所、関西の合同映画社を吸収して株式会社電通映画社(資本金120万円、東京都蒲田区)を設立する。8月26日設立登記を完了。 1944年、緊急食料生産を指導する中川順夫監督『じゃか薯の芽」。都内の国民学校での国防教育を描いた『戰ふ小國民 その4 都會教場』(18分)を製作。9月には、日本映画社に買収され、光永真三社長が辞任、日本映画社専務の上田碩三(後の電通3代目社長)が社長となる。 1945年、『甘薯の箱作り』、中島飛行機の発注による亀井文夫原作・ 中川順夫監督『制空』が8月完成。12月1日「映画製作者連合会」に劇映画3社、朝日映画社・理研科学映画・合資会社横浜シネマのニュース短篇映画各社とともに参加。 1947年3月、「映画製作者連合会」が「日本映画連合会」と改称し、改めて参加。
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