電力戦の主役として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 14:58 UTC 版)
しかし日電設立直後から景気後退に入ったことから電力需要も伸び悩み、今度は供給過剰の状態が発生した。日電は未開発の水系を集中して開発し高圧送電を行うことで価格競争力を高め、特に大都市で既存の電力会社に対し競争を挑む電力戦の仕掛け役となった。 1923年には庄川水系で発電した電力を中部地方へ供給、松永安左エ門率いる東邦電力と激しいシェア争いを演じた。この競争は、翌1924年に東邦が日電から電気の供給を受けることで決着する。また1928年には小田原電気鉄道(現・箱根登山鉄道)を合併し同社の電燈部門を手に入れると共に、信州地方から電力を供給して東京電燈と激しい競争を演じた。 その日電でさえも、関西地方では逆に進出を阻まれてしまう格好になった。本来なら親会社である宇治電と提携するはずが、大同電力が既に宇治電に対し電力供給を実施しているため、日電としては独自に電力網を整備し需要家開拓に努めなければならなかった。このため宇治電と親会社・子会社同士で激しい競争を引き起こす結果となった。
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